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広島地方裁判所 昭和45年(ワ)1202号 判決 1972年4月26日

原告

大下文子

被告

森永乳業株式会社

ほか一名

主文

被告らは各自原告に対し九七八万円及びこれに対する昭和四四年九月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行できる。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  原告

「被告らは各自原告に対し二三八四万五〇三四円及びこれに対する昭和四四年九月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決と仮執行宣言。

二  被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決。

第二事実

(原告)

一  請求原因

(一) 事故の発生

訴外大下剛敏(以下、亡剛敏という。)は、次の交通事故(以下、「本件事故」という。)により昭和四四年九月二三日午前二時五〇分死亡した。

(1) 日時 同月二二日午前一時五〇分

(2) 場所 防府市国道二号線峠

(3) 加害車 普通貨物自動車(山1あ四八七六)

運転者 訴外 横山俊助

(4) 被害車 普通貨物自動車(広島4な一二―一三)

運転者 亡剛敏

(5) 態様 小郡方面から徳山方面へ進行していた被害車と対向進行してきた加害車とが衝突

(二) 責任原因

(1) 被告三久株式会社(以下、被告三久という。)

被告三久は、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(2) 被告森永乳業株式会社(以下、被告森永乳業という。)

被告三久は、被告森永乳業の運送業務部門を担当し、被告森永乳業の牛乳運搬を主業務としている会社であつて、その保有車両には、「森永乳業」と表示されており、右車両の運行は、被告森永乳業の指示に基いてなされているのであつて、右車両の運行支配並びに運行利益は、被告森永乳業に帰属する。したがつて、被告森永乳業も加害車の運行供用者として、被告三久とともに自賠法三条により本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(三) 損害

1 亡剛敏の逸失利益

(イ) 給与

亡剛敏は、昭和一八年三月一〇日生れの男子で、大学在学中には野球部の主力投手をし、就職後は野球の対抗試合において投手として活躍するなどきわめて健康な青年であつて、本件事故に遭わなければ、満六五才まで稼働しえたものである。

亡剛敏は、広島県立可部高等学校及び国立山口大学経済学部を優秀な成績で卒業し、昭和四〇年四月訴外小野薬品工業株式会社(以下、小野薬品という。)に就職し、入社後から事故に至るまで同株式会社広島営業所に勤務し、給与(本給及び付加給)として一カ月平均四万六四六三円の支給を受けており、このほか昭和四四年一二月に同年下期賞与として本給の三・六カ月分一五万九五八八円の支給を受ける予定であつた。したがつて、亡剛敏は、事故当日の昭和四四年九月二二日から翌四五年三月三一日までの六カ月一〇日間に四五万三八五三円()の得べかりし収入を失つたことになる。

ところで、小野薬品は、従業員一三〇〇名を擁する一流の製薬会社であり、その給与は、他社に比して優るとも劣らぬ水準にある。そして、亡剛敏は、いわゆる大学卒の幹部候補生として採用され、その昇進が約束されていたものである。そして、労働大臣官房労働統計調査部作成の「賃金構造基本統計調査報告」には、従業員一〇〇〇人以上の企業における大学卒男子労働者に「平均月間きまつて支給された現金給与額」と「平均年間特別に支払われた賞与その他の特別給与額」として別表第一の(A)・(B)・(C)欄のとおりの記載があるところ、亡剛敏は、昭和四五年四月一日以降満六五才までの稼働可能期間中、年令の推移に応じ少くとも同表の(A)・(C)欄記載の金額の合計額(同表(D)欄記載のとおり)の給与の支払を受けえたはずである。

他方、昭和四三年度総理府全国世帯平均家計調査報告記載の有職者一人当りの一カ月消費支出額に照らせば、亡剛敏が前記稼働可能期間中に支出する生活費は、満二七才から満四〇才まで一カ月二万五〇〇〇円(年三〇万円)、満三五才から満六五才まで一カ月三万五〇〇〇円(年四二万円)と考えられる。

そうすると、亡剛敏の満二七才から満六五才まで各年度における純収益は、別表第二の(A)欄の各年収(別表第一の(D)欄記載のものと同一)から別表第二の(B)欄の各生活費を控除した金員(同表(C)欄記載のとおり)となるところ、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して昭和四五年四月一日現在の現価を求めると、同表(E)欄記載のとおりとなる。

(ロ) 退職金

小野薬品における退職一時金は、退職時の本給に調整率一〇〇%を乗じた金額に勤続年数に対応する支給率を乗じて算出した金額であるところ、亡剛敏は、本件事故に遭わなければ、小野薬品に三〇年以上勤続しえ、退職時の本給は、一三万三八〇〇円(別表第一の五〇才から五九才までの年令層の所定内給与額)を下らないはずであり、勤続年数三〇以上の退職金支給率は、三〇であるから、亡剛敏の退職金は、四〇一万四〇〇〇円となるところ、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、その現価を求めると、一六七万二四九七円となる。

(ハ) 以上の亡剛敏の逸失利益の合計額は、二三六九万五〇三四円となるところ、原告は、同人の実母であり、唯一の相続人であるから、同人の死亡により右損害賠償請求権を相続した。

2 葬儀費並びに雑費

原告は、右費用として一五万円を支出した。

3 慰藉料

原告は、本件事故により最愛の息子を失つたものであつて、その精神的苦痛は、甚大なものがあり、これに対する慰藉料は、三〇〇万円をもつて相当とする。

4 損害の填補

原告は、本件事故による損害賠償として自賠責保険より三〇〇万円を受領した。

(四) 結論

よつて、原告は、本件事故による損害賠償として、被告ら各自に対し二三八四万五〇三四円及びこれに対する本件事故発生の後である昭和四四年九月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告ら)

二 請求原因に対する答弁

(一)  請求原因第(一)項の事実は認める。

(二)  同第(二)項1の事実は認める。同項2の事実中、被告三久が、被告森永乳業の牛乳運搬を主業務としていることは認めるが、その余は争う。

(三)  同第(三)項中、原告の身分関係及び相続関係並びに4の事実は認める、亡剛敏の経歴は不知、その余の事実は争う。

三 抗弁

(一)  横山は、加害車を運転し、徳山方面から小郡方面に向けて進行し、事故現場の右回りのカーブを曲つた地点にさしかかつたのであるが、折しも対向進行してきた被害車を運転していた亡剛敏が飲酒酩酊し、かつスピードを出し過ぎていたためか、運転を誤り、右カーブを曲り切れず、そのまま進行し、急に加害車に突込んできてその右側面前部に衝突したために本件事故が発生したものである。したがつて、加害車の運転者である横山にとつては、不可抗力の事故であり、本件事故の発生につき同人にはなんらの過失もない。

(二)  加害車には、構造上の欠陥又は機能の障害はなかつた。

(原告)

四 抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  (事故の発生)

請求原因第(一)項の事実は、当事者間に争いがない。

二  (責任原因)

(一)  被告三久が加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたことは、当事者間に争いがない。したがつて、同被告は、自賠法三条により本件事故によつて生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二)  被告三久が被告森永乳業の牛乳運搬を主業務としていることは、原告と被告森永乳業との間において争いがなく、〔証拠略〕によると、被告森永乳業は、牛乳その他の乳製品の製造、販売業を営む会社であるが、広島地区において原乳を酪農家より集荷したり、乳製品を取引先である販売店に運搬するための車両を所有しておらず、これらの業務を被告三久外数社の運送業者に行わせていること、被告三久は、貨物自動車二四台を所有して自動車運送事業を営む従業員約四〇名の会社であるが、本件事故前より被告森永乳業との間に運送契約を結び、同被告の乳製品及び原乳の運搬を専属的に行い、他の運送業務は全く行つていないこと、被告三久の全車両の車体には、被告森永乳業の指示により、「森永ホモ牛乳」その他被告森永乳業の製品名が表示されていること、被告三久の運転手は、被告森永乳業の乳製品を販売店に配送する際、販売店より同被告に対する次回の注文を受け、同被告にこれを連絡していること、被告三久は、右運送契約に基く運送の一環として、広島森永牛乳株式会社(被告森永乳業は、広島地区において右株式会社より乳製品を買い取り、森永製品として販売している。)可部工場より被告森永乳業の乳製品を毎日山口県下の販売店に運搬しているが、本件事故も、被告三久の運転手横山が右可部工場より山口県の販売店に牛乳を運搬していた途中において発生したものであることが認められ、これを左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、被告三久は、被告森永乳業の専属的な運送業者であり、両会社の間には、緊密な一体性があるのであつて、本件事故当時における加害車の運行は、被告森永乳業の支配のもとにかつ同被告のためになされたものと認めることができる。してみれば、被告森永乳業は被告三久とともに加害車の共同運行供用者として、本件事故につき損害賠償義務を負うものというべきである。

三  (免責)〔証拠略〕を綜合すると、次のとおり認められる。すなわち本件事故現場は、幅員七・五メートルのコンクリート舗装をされた平坦な国道二号線上であつて、中央に白くセンターラインが引かれ、徳山方面から小郡方面に向けてゆるやかに右カーブし、かつ一〇〇分の一程度の下り勾配となつている。現場の見通しは、良好であるが、事故当時は、夜間のため暗かつた。横山は、加害車を運転して下り線を時速約五五キロメートルで事故現場手前にさしかかり、車体右側を中央線より若干外側に出して進行していたところ、上り線のほぼ真中を対向進行してくる被害車を四、五〇メートル前方に発見したが、双方がそのまま進行すれば、安全に離合しうるものと考えて、車体を中央線の内側に戻すことなく、漫然と進行を継続したこと、ところが、事故現場のカーブの頂点付近に近づいたとき、被害車が急に中央線寄りに寄つてきたため衝突の危険を感じたが、避ける間もなく、被害車の右フロントフエンダーと加害車の右サイドフエンダーとが接触し、さらに被害車の前部右側面と加害車の箱型荷台の右前角とが衝突し、被害車は、路上に転覆した。右衝突地点は、中央線より上り線上に三〇センチ入つた地点であつた。

以上のとおり認められ、これを左右するに足る証拠はない。

右認定の事実によれば、横山は、被害車と離合する際、中央線の内側に車体を戻したうえ、中央線との間隔を広めにおいて進行し、被害車との接触・衝突を避けるべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然と対向車線上を進行した過失があり、これが本件事故発生の一因をなしたことは明らかである。

証人横山俊助は、「加害車が中央線の内側を進行していたとしても、被害車は、カーブを曲り切ることができず、衝突事故は、避けられなかつた。」という趣旨の証言をしている。しかしながら、〔証拠略〕によると、本件事故によつて破損した箇所は、加害車、被害車とも右側面であることが認められ、この事実に〔証拠略〕をあわせ考えると、被害車は、加害車に急角度に突込むような形で衝突したのではなく、事故現場のカーブにおいて中央線にほぼ平行に進行している状態において加害車の右側面と被害車の右側面とがすれ違いざまに接触したものと認められるのであつて、この事実に照らすと、前記横山証言は、にわかに採用し難い。本件証拠上、加害車が中央線の内側を進行していたとしても、衝突は、不可避であつたと断定することは、困難であるといわざるをえない。

よつて、被告らの免責の抗弁は、他の点について判断するまでもなく、理由がない。

四  (過失相殺)

被告らは、亡剛敏は、事故当時、飲酒酩酊し、速度違反をしていたと主張するので、検討するのに、〔証拠略〕によると、亡剛敏は、事故前日の午後八時過ぎ頃友人の橋口博とともに山口市内の飲食店でウイスキーの水割り三、四杯を飲み、午後一一時頃店を出て、酔いをさますため被害車の座席で約二時間休み、翌日午前一時頃出発したこと、事故後の亡剛敏の血液検査の結果によると、血液一ミリリツトル中にアルコール分一・七二ミリグラムが含まれていたことが認められる。そして、道路交通法より処罰される酒気帯び運転の場合のアルコール濃度は、血液一ミリリツトルにつき〇・五ミリグラムと定めれている(同法施行令四四条の三)ことに照らすと、亡剛敏の事故当時のアルコール保有濃度は、かなり高く、自動車の運転は、厳に差控えなければならない状態であつたと認められる。

次に、事故当時の被害車の正確な速度は、証拠上、必ずしもはつきりしないが、証人横山俊助の「被害車は、かなりスピードを出しており、七〇キロ以上の速度であつたと思う。」旨の供述及び被告三久代表者本人の「事故後、被害車のスピードメーターは、七六キロを示していた。」旨の供述をあわせ考えると、被害車は、事故当時、時速七〇キロ以上のスピードを出していたものと推認してほぼ間違いないものと考えられる。

ところで、本件事故の場合、加害車は、事故現場の手前から中央線を若干越えて進行していたのであるから、対向車の運転者たる者は、加害車と離合する際、中央線に接近しすぎることなく、道路左側に寄り(現場の道路の幅員及び被害車の車幅からして左側に寄る余裕は十分あつた。)、もつて加害車との接触・衝突を避けるべき注意義務があるものというべきである。

しかるに、亡剛敏運転の被害車は、衝突現場の手前まで上り線のほぼ真中を進行していたところ、事故現場のカーブにおいて急に中央線寄りに寄つてきて本件衝突事故が発生したことは、前記認定のとおりであつて(被害車が事故現場で中央線寄りに寄つたのは、左カーブで七〇キロ以上のスピードを出していたために、大曲りとなり、進路が中央線寄りに寄つたものと推認される。)、亡剛敏にも前記注意義務を怠つた過失があるものというべく、またその不注意は、前記飲酒酩酊に起因する注意能力の減退を示すものとも考えられ、亡剛敏の過失と横山の過失を対比すると、大体三対七とみるのが相当である。

五  (損害)

(一)  亡剛敏の得べかりし利益の喪失

(1)  給与

(イ) 〔証拠略〕によると、亡剛敏は、昭和一八年三月一〇日生れで(事故当時二六才)、大学在学中、野球部の投手をし、就職後も会社の対抗試合において投手として活躍するなど、きわめて健康な青年であつたことが認められるから、本件事故に遭わなければ、事故後、第一二回生命表によつて明らかな満二六才の男子の平均余命期間である四四・六一年間生存しえ、その間満六三才まで三七年間にわたつて稼働することができたものと推認しうる。

(ロ) 〔証拠略〕を総合すると、亡剛敏は、昭和四〇年三月山口大学経済学部を卒業して、小野薬品に就職し、医薬品を開業医や病院に宣伝し、販売するプロパーの仕事に従事し、事故当時、一カ月平均四万六四六三円の給与(本給四万四三三〇円と付加給二一三三円)の支給を受けていたこと、同会社では、昭和四四年一二月及び昭和四五年六月に賞与として、それぞれ本給の三・六カ月分が支給されたことが認められる。したがつて、亡剛敏、は本件事故がなければ、昭和四五年九月二一日までの一年間に八七万六七三二円の収入をあげえたものというべきである。

(ハ) 次に、亡剛敏の小野薬品における将来の昇給額について検討するに、〔証拠略〕によると、小野薬品は、資本金約一〇億円、従業員約一三〇〇名の中堅の医薬品メーカーであること、給与は、本給及び役付手当、家族手当、物価手当等の付加給からなつていること、本給の額は、社内の給与基準によれば、昭和四五年現在、同年入社従業員につき四万二〇〇〇円、昭和四〇年入社従業員につき五万三二〇〇円、昭和三五年入社従業員につき六万六九二〇円、昭和三〇年入社従業員につき八万二四六〇円となつており、賞与は、年間、本給及び役付手当の七カ月分程度が支給されていること、昇給は、毎年一二月に行われること、また、入社後六、七年で係長(役付手当一五〇〇円)、入社後一〇年で課長代理(役付手当二五〇〇円)入社後一二、三年で課長(役付手当一万二〇〇〇円)に昇進する例であり、停年は、満五五才であること、亡剛敏の勤務ぶりは、非常に真面目であり、同人は、同期の者の間で、最優秀の勤務成績をあげ、将来を嘱望されていたことが認められる。右事実によると、亡剛敏の能力、会社の規模からいつて、将来昇給することは確実に推認しうる。

そして、右認定の事実によると、亡剛敏は、本給につき入社後五年を経過した昭和四五年九月二二日(昭和四五年三月であるが、計算の便宜と控え目の計算のため右九月二二日として計算、以下同じ)から五万三二〇〇円に、入社後一〇年を経過した昭和五四年九月二二日から六万六九二〇円に、入社後一五年を経過した昭和五五年九月二二日から八万二四六〇円程度に昇給し(右昇給額には、事故後のいわゆるベースアツプ分を含むが、口頭弁論終結時までのベースアツプは、逸失利益の算定にあたり考慮しうるものと考える。)、かつ、賞与として年間本給の七カ月分程度の支給を受けるものと推認してほぼ間違いないと考えられる(右以降の昇給を推認するに足る的確な証拠はない)。そこで、亡剛敏の本件事故後から停年の満五五才に達するまでの二八年間(二八年間と五カ月であるが、計算の便宜と控え目な認定のため二八年間とする。)の年収を算出すると、別表第三の(C)欄のとおりとなる(役付手当その他の付加給の昇給については、これを予測する的確な資料がないので、右年収の算定にあたつては、死亡当時の付加給のみを算入し、その昇給を考慮しない)。

(ニ) 次に、亡剛敏は、停年退職後の満五四・六才(満五五才であるが、前記のとおり計算の便宜のため五四・六才とする。)から満六二・六才までの八年間は右年令層の全産業男子の旧大・新大卒の平均賃金を得ることができるものと推認されるところ、労働大臣官房労働統計調査部作成の「昭和四三年資金構造基本統計調査報告」によれば、右資金額は、別第四の(C)欄記載のとおりとなる。

(ホ) そして、右収入から控除すべき生活費は、収入の上昇及び家族構成等により変動するものと考えられるが、これを平均して収入額の五割とみるのが相当である。

(ヘ) そうすると、亡剛敏の純収益は、別表第三、第四の各(D)欄記載のとおりとなり、本件事故時においてこれを一時に支払を受けるものとして、複式ホフマン式計算法(年毎)により五分の割合による中間利息を控除をすると、その現価は、右各表の(F)欄記載のとおりであつて、合計一四三二万五六五七円となる。

(2)  退職金

前記認定の事実によれば、亡剛は、停年退職まで三三年間勤続し、退職時において八万二四六〇円を下らない本給の支給を受けているものと認められる。

そして、〔証拠略〕によると、小野薬品においては、退職時の本給に調整率(一〇〇%)を乗じて算出した金額に勤続年数に対応する支給率を乗じた金額の退職金が支給される旨及び勤続年数二〇以上の支給率は、二〇とする旨就業規則に定められていることが認められる。したがつて、亡剛敏の停年退職金は、二四七万三八〇〇円となるところ、これが本件事故時において一時に支払われるものとし、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、一〇三万〇五八五円となる。

そして、〔証拠略〕によると、亡剛敏の死亡退職による退職金が支給されたことが認められるところ、前記認定によれば、亡剛敏は、死亡時までに四年六月勤続し、死亡時の本給は、四万四三三〇円であつたことが認められ、〔証拠略〕によれば、勤続年数四年の退職金支給率は、二・三であることが認められる。したがつて亡剛敏の死亡退職による退職金は、一〇万一九五九円となるので、これを前記停年退職金から控除すると、九二万八六二六円となる。

(3)  相続

原告が亡剛敏の母であり、その唯一の相続人であることは、当事者間に争いがないから、原告は、(1)、(2)の損害賠償請求欄を取得したものというべきである。

(二)  葬儀費

〔証拠略〕によれば、原告は、長男である亡剛敏の葬儀を営み、その費用を支出したことが認められ、同人の社会的地位、職業、生活程度等に照らし、原告主張の一五万円は、同人の葬儀費として相当なものと認められる。

(三)  過失相殺

よつて、以上の損害合計は、一五四〇万四二八三円となるところ、前記過失割合を斟酌すると、そのうち原告が被告らに請求しうる額は、一〇七八万円と認められる。

(四)  慰藉料

〔証拠略〕によると、原告は、原爆で夫を失い、その後、女手ひとで亡剛敏を育て、長男である同人に将来の期待をかけていたところ、本件事故によつて同人を失い、甚大な精神的苦痛を受けたことが認められるところ、本件事故の態様特に亡剛敏の過失の程度その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、右精神的苦痛に対する慰藉料は、二〇〇万円をもつて相当する。

(五)  損害の填補

よつて、損害合計は、一二七八万円となるところ、原告が自賠責保険より三〇〇万円を受領したことは当事者間に争いがないので、これを控除すると、九七八万円となる。

六  (結論)

よつて、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し九七八万円及びこれに対する本件不法行為の後である昭和四四年九月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余は、失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 高升五十雄)

別表第一

<省略>

別表第二

<省略>

別表第三

<省略>

別表第四

<省略>

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